明石市・加古川市・播磨町・稲美町等の補助により、発達障害・知的障害・精神障害・心の病気・ひきこもり・ニート・自閉症・アスペ ルガー・ダウン症・学習障害(LD)・ADHD・難病の方等にさまざまなサポートをおこなっている、明石市にある障害者施設 波の家福祉会です。 明石市・加古川市 の発達相談・発達支援をおこなっています。

こころの病気、発達障害で苦しんでいる方へ

「一人ぼっちでなやまないでほしい
僕自身も精神科通院歴20年以上なんだ」

あまり人に話したことはありませんが、近しい人で知っている人は知っています。 きっかけは、2才の時の息子の重度の障害と超難病のダブルパンチです。 当時、私はまだフツーの会社のサラリーマンでした。 家内も育児休暇後職場に復帰し共働きでした。そして、ちょうど多額のローンを組んで、住宅を買ったばかりの時期で、先の見えない息子の長期入院が始まります。昼間は僕たち2人の両親が病院に付き添ってくれましたが、夜間は夫婦で交代で付き添うしかありません。

経験した事のある人は分かると思いますが、病院の簡易ベッドって本当にまともになんて眠れないんです。それでも明け方まで付き添い、その後自宅に一瞬シャワーときがえのために戻り、それで会社に向かう。この繰り返しです。 あまりのしんどさに当時はかかりつけの内科で睡眠薬と抗うつ薬を初めてもらいました(今でも覚えていますが、デパスとドクマチールという薬です)。 睡眠薬って最初はメチャクチャ効くんですよ。でも段々と効かなくなってくる。入院が2ヶ月3ヶ月と続くうちに、僕も家内も限界に来ていました。 それで転勤もなく比較的安定した妻の方が働くことにして、私は会社を退職し、息子の付き添いをやりながらでもできる仕事を探しました。

結果的に「障害児でも預かる無認可保育園」というコンセプトで、息子をみながら託児所を自営で始めたことが、現在の波の家福祉会のルーツです。 慣れない自営業の立ち上げと息子の付き添い、多分、人生でこの頃が一番しんどかった頃だと思います。

いつ、自分の心がこわれててもおかしくはなかった。薬もどんどん多くなってゆきました。内科では手に負えなくなって、精神科に通い始めました。 たまたま、運に恵まれたこともあり、仕事も本当にゆっくりですが軌道に乗り始め、息子もひどい時は年の半分以上は入院していたのですが、少しずつ薬のコントロールなどで状態が落ち着いてゆき、現在私が作った施設に通い、私が作ったグループホームで過ごしています。

今年26才になります。もちろん、障害支援区分はマックスの6、最重度の障害者である事は変わりません。

ただ、ひとつだけ大きな問題が残りました。僕が完全に睡眠薬に依存してしまい、薬からぬけられなくなってたんです。何度かやめようと試みましたが、あまりにもリバウンドが大きい。眠れない、手は震える、ろれつも回らない。いわゆる禁断症状が全て出てしまい、やめるにやめられない。結果、現在も数種の睡眠薬と、比較的眠気を誘うタイプの抗うつ薬は手放せません。もう20年以上にもなります。 多分、僕を全く知らない人が見たら、本当に貧しい家庭に生まれ、死ぬほど努力し、社会人になったとたん、今度は重度の障害児をもち、それでも何とかそれをはねのけ、今では数百名の社員と、精神、発達、知的、児童と1000名近い利用者がいる。 ひょっとすれば、「成功者のはしくれ」と思われているかもしれません。 でも、実際は未だに薬も手放せず、いってみれば20年以上も精神病患者です。

ウチに通われているメンバーさん見てても、本当にフツーの人ばかりです。ただ、生きていく上で不器用だったり、要領が悪かったり、運に恵まれなかった方ばかりなんです。

僕の方がよっぽど問題は深刻かもしれない。
ただ、僕は「運が良かっただけ」
たまたま出会いに恵まれ、いい職員にも恵まれ、色んな人が助けてくれました。あの時、あの決断をしていたら今頃「首をくくって死んでいただろうな」そんな事もいっぱいありますが、ただ、本当に運に恵まれていました。 だからこそ、今、一人で悩み、抱え込んでいる人に伝えたい。

「どうせ人とうまくやれないし」
みたいに自分で自分をあきらめないでほしい。
あなたと同じように、一人で悩みを抱えている人はいっぱいいる。だからこそ、一歩ふみ出して、いろんな人と関わってほしい。しんどい時は助けを求めてほしい。決してあなたは一人ではありません。 今、一人で悩んで苦しんでいる人に問いたい。



「僕たちに何かできる事はありませんか?」

波の家福祉会 理事長 伊藤 隆